2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧

あいかわらず雨が続いて、しょんぼりな日々でございます。 皆さまいかがお過ごしでしょう。1日1章、9日間完成!という『差異と隔たり』再読のこころみは容易に打ち砕かれ。 とはいえ、ちょっとずつ読んでいます。今日は第2部、第1章「他性の諸相」です…

現存在はそのつどじぶんの可能性なのであり、じぶんの可能性を目のまえにあるものとしてただ属性のようなかたちで「もっている」のではない。

「存在」はいつもそこにあるにもかかわらず、いつだってわたしたちのことばの上をすべっていってしまう。 なぜなら、わたしたちは存在しているから。わたしは、あなたのことを見つめたり、あるいはあなたに呼び掛けたりすることができるけれど、あなたのこと…

まず私はまだしたことがないことをしたいという漠然とした結論に達する。

絶対、サマソニでCalifornia Kids合唱したい。 もちろん大阪で!こんばんは。舞城王太郎の最高傑作は何かと言われれば、ちょっと悩んだふりをしてから「真夜中のブラブラ蜂」と答えようと心の中で準備しています。「あなたはこう」と決めつけたい。人は、相…

ふん。死にたいやつは死ね。俺は死なん。

Weezerの来日が待ちきれないこんな日々。楽しいですね。「手はシャベルを使用するが、手がシャベルによって使われてもいるのである。一般に、身体が道具を使用するとき、身体は道具にとっての道具になっている。身体は道具となるまえに、みずから道具を使用…

人文。

およそ倫理が可能であるとするならば、ひとはあらかじめ〈他者への関係〉のうちに存在していなければならない。(『差異と隔たり』v) ひとは〈他者への関係〉のうちに存在する。 それが僕たちの前提。他者との関係、でない点には注意を払っておいてもいいだ…